第二次世界大戦が終了し戦災復興資金の確保のため
1948(昭23)年11月:小倉競輪場で世界でも類のない自転車競走「競輪」が始まった
各地にその加熱ぶりが伝わり、大阪府もその人気に加算
大阪で一番初めに競輪を開催したのは住の江競輪(現:住之江球場付近)
次は岸和田競輪、中央競輪(現:長居競技場付近)そして豊中競輪(現:緑地公園内)と
次々と競輪場が建設された
1950(昭25)年2月17日:岸和田市主催で岸和田競輪場が開催される
競走路周長:400m、幅員:10m、収容人員1万8000人、工費4,367万円
2月17、18、19日を前節、24,25,26日を後節として行われ
新設の競輪場として人気は上々であった
しかし大阪市からは少し遠すぎた関係もあり
入場者は他の競輪場に比べて少し劣ったが、それでも6日間で3万9350人を集めたという
場内およびインターネットで岸和田BBスタジオを放送し
岸和田だけに限らず他場のグレードレースでも映像を配信するなど
ファンの高い支持を得る努力を続け
<昭和42年度・岸和田市主催・連勝単式車券>
大阪府の他3競輪場(住の江競輪、中央競輪、豊中競輪)が閉場したにもかかわらず
現存するのは岸和田競輪場ただ一ヶ所だけである
大阪府岸和田市春木若松町
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